皆さん、SNS時代、インターネットを通じたネット空間に依存し過ぎること、五感の働きが衰えてきていることに不安を持つことはないでしょうか。
電車の車内を観察すると、向かいの7つの座席に座った方全員は常にスマホに集中しています。歩きスマホも観察すると、少なくとも3分の1の方が絶えずスマホを触っています。歩行中もスマホに気を取られて、街の喧騒に五感を働かせていることが少なくなっているのが見受けられます。
この傾向は、私には人間の五感の衰えに直接的な影響を与えているように見えますし、「個」のみで完結し人と人との触れ合いが極端に少なくなることで、人類が本来備えていた実存性やリアリティを希薄化しているのではと心配になります。
五感は言うまでもなく「見る、聴く、嗅ぐ、味わう、触れる」です。そこで今回は、「地球環境変貌と五感を大切に」をテーマに考えてみたいと思います。身体のなかにこうした自然とのつながりを、五感との接続でどう意識できるかは「学び」の鍵となると思います。
今年の夏は自然災害や気候変動に係るニュースばかりに翻弄されていました。日本では当初は酷暑に関するトピックスが多く、気温上昇に伴い熱中症に気を付けての外出や外での活動を行うことが主題でした。
8月は西日本は酷暑の状態、東日本は天候不順と地域によって大きく異なりましたが、日々気温や天候を気にすることが多かったと思います。
そうした中で自然災害は多発し、7月28日令和8年熊本地震、8月中旬の千葉豪雨、8月下旬の北陸、福井などの大雨など様々な自然災害や天候不順に日本中が苦しめられました。
多くの災害が発生しました。被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。
海外では、8月26日に発生したネパールと中国の国境での土石流は信じられない規模の多くの被害をもたらしました。
標高5000メートルの高地で生じた氷河と岩盤の崩落が時速180キロメートルとも言われる大規模の土石流が下流の村々を一瞬に巻き込みました。
ネパールのシシル・カメル外務大臣は、地元テレビ局のインタビューで、「地球規模の気候変動と温暖化によるヒマラヤ地域の「氷河溶解」が災害の原因との見方を示し、世界最大の温室効果ガス排出国である中国と米国、インドを名指しして「補償を行う歴史的責任」を負っていると主張した。」(Y!ニュース2026年9月1日19:45配信、産経新聞記事)とあり、他の多数のメディアも同様の報道をしています。
「われわれが作り出したわけではない危機の究極の代償を支払っている。」と述べています。その後、こうした主張は名指しでの非難はトーンダウンしたとの報道もその後出ていますが、甚大な被害を被った当事者国としての激しい怒りのメッセージかと思います。
地球は一つでつながっていること、また経済成長の恩恵を得てきた国と恩恵を得ていない国が、いかに足並みを揃え気候変動問題に取り組めるか問われます。
現在2050年に向けてカーボンニュートラルという大きな旗印の下で、様々な取り組みが政府、自治体、企業によって行われています。
ESGやサステナビリティを前面に位置づけ、社会活動や企業活動が行われるように大きな変化がもたらされています。
こうしたことに、日本社会、企業、個人が、「自分事」で取り組めるかは、前提としての人の「学び」方とよくリンクして考えておく必要があります。
先にお話したようにネット空間に依存しすぎる世界に変化してきたことが、人間の五感を低下させ、「学び」をネットや生成AIに依存し過ぎることは人類が本来備えていた実存性やリアリティを希薄化していることに通じています。
「学び」にリアル性や身体性をもたらすことを個々人の行動パターンとの関係性を復活させていくことが必要ではないかと思います。
辻本雅史氏の『江戸の学びと思想家たち』(岩波新書、2021年)は、人の「学び」について、江戸時代の思想家(山崎闇斎、伊藤仁斎、荻生徂徠、貝原益軒、石田梅岩、本居宣長、平田篤胤)を題材に、特に素読や「声」の有用性について、「学び」の意味合いを評価しています。
同書では評論家の唐木順三の見方も参考にしながら、「素読」についての有用性を説いています。
「江戸時代、多少とも学問に接する子どもは、例外なく四書五経などの経書を素読することから学習を始めた。テキストの意味理解は問わないままに、その全文が流れるごとく口を衝いて出るようになるまで暗誦する。この素読のことを、私は「テキストの身体化」ととらえている。テキストを見なくても、その文章が自在に口を衝いて出てくるならば、テキストをまるごと身体内部に取り込んだことと同じになる。素読とはまさに幼少期の、身体をともなった学びの体験である。」(4頁)とあります。
この身体性を通じた「学び」については、生成AI時代の「学び」という視点からどう「学び」に身体性を取りこむかという観点で、ネット空間に依存しない活動を増やしていくしかないと思います。気候変動の問題や自然災害などについて実感を報道や情報のみで取り込むのではなく、身近な自然の変化、例えば、食生活における魚の種類が変わってきたとか、動物の生息地の変化を見ることなどを通じて、体内部に取り込むための五感を働かすことに時間をつかい、また自然との接触を増やし、地に足をつけた活動を行うことにポイントがあると思います。
常に自らの身体性とリンクした形で意識できるかどうかは「学び」とリンクしています。同書にも「地球環境の危機は、私たち自身につながっている問題である。地球のどこかで起こっている他人事というよりも、私たち自身の身体の問題にほかならない。・・・江戸の学びは、自然(天)と関わるなかで、豊かな身体感覚や感性を育て、それを通して他者とつながっていく知恵に満ちていた。」(221頁)とあります。
今さら、江戸の思想家から何を学ぶのですか、あるいは、漢文ですか、素読ですかなどの懐疑的な見方は多々あると思います。しかしながら、江戸時代の豊かな知のバックグラウンドがあってこその現在の日本の豊かな「学び」が形成されていることも事実ですし、生成AI時代に表面的な形で手軽な「学び」が横行しがちなところ、「身体性」についてよく考えて取り込んでいくことは、現代の「学び」に不可欠であるとも思います。
昔からの「四書五経」を復活させるということではなく、「学び」に「身体性」をどう確保していくかということで、考えていくべきことではないかと思います。
ネット空間に関心が集中していると、音・視野・匂いなどに無関心になりがちで、本来得られる頭脳の活性化ができないなどの問題が生じます。
五感を働かせる人間の自然な摂理に反していると思います。この身体性を科学でどう読み解くかもポイントです。
最近では、科学否定論の議論や通説を根拠が乏しい陰謀論的なアプローチなどが、SNSなどのネット空間で横行しています。松村一志氏の『科学否定論はなぜ人をひきつけるのか』(ちくま新書、2026年)は、そうした科学否定論を、具体的に地球平面説から反ワクチンなどのケースを取り上げ丁寧に解説をしています。
専門的でアカデミズムな内容をデータや資料を丁寧に読み解きながら解説しているので学説などは難解な部分もありますが、一読しても良いかと思います。
気候変動否定論も解説しています。「IPCCが数年おきに出す報告書(2021~2022年)では、地球温暖化をめぐる記述が変化してきた。・・・第六次報告書では「疑う余地がない(unequivocally)」という表現になっている。・・・温暖化の存在やその原因が人間活動であることは、ますます否定しづらくなった。・・・もちろん、だからといって、気候変動に警鐘を鳴らす議論のすべてが妥当なわけではない。・・・人々は簡単に「この豪雨も温暖化のせいだ」などと言ってしまいます。」(同書136-141頁)
と、バランスの良い見配りのきいた議論を展開しています。我々はどういう科学の知見を信じるか確かに大変難しいところがあり、無批判に信じてはいけませんし、論理的に考えていくこと、データに基づいた評価も大事です。
私は根本的には、その事象の見方について常に自己の中で決着しすぎることはせずに、曖昧なままに残してバランス良い見方の維持が重要かと思います。決めつけを排除し、同時に緩やかな評価をして曖昧なまま自己内においておくことの大切さにも、思いを馳せましょう。
五感を取り戻し身体性を重視することで、地球環境変貌に地に足がつく取り組みにつながるのではないでしょうか。
2026年9月6日記(しばらく市場動向、要ウオッチです。)
イノベーション・インテリジェンス研究所 代表 幸田博人
