戦後81年経過した中で歴史の風化を心配する声が大きくなっています。
戦争の経験が継承されていないのではとの問題意識が強くなっています。
足元安全保障環境の厳しさが増している中で世界で戦争が頻繁に起き、危機意識そのものが高くなっているなかで、歴史の証人や証言に何かを感じ取ることの重要性が世代を問わず強く意識されている気がします。
戦後81年、何を思うか、歴史からの「学び」はますます大事になっています。
同時にその「学び」は国際秩序の変化や旧来の社会規範がやや漂流していることもあり、未来に向けたサステナブルな社会につながっていくものでないといけません。
戦争体験の風化とますます厳しさを増す安全保障環境について考えてみたいと思います。
戦後81年を経て戦後生まれの増加はどういうスピード感なのか、まずはデータから見てみます。日本の人口データ(人口推計)、総務省によると、2024年10月時点で戦後生まれの方が全体の89%で1億991万人、戦前生まれが約1389万人とのことです。
おそらく足元では、戦後生まれが9割を超えてきているものと思われます。戦後生まれの割合が初めて過半を超えたのが1976年(昭和51年)で今から50年前です。戦後生まれが8割を超えたのが2014年(平成26年)で、約10年前です。
私の感覚では両親が戦前生まれでしたから、当然戦前がどういう時代だったのかは体感的に組み込まれていたような気がしますが、私自身は幼少期、地方の田舎(山口市)で過ごしている中でうろ覚えの記憶がはじめてある幼稚園の頃、すでに戦前の面影を感じることはほとんどなく、ひたすら高度経済成長の真っ只中だった気がします。
テレビが家に入り、自家用車の購入などで移動の利便性を感じ、その後電話も近所からの呼び出しではなくなり自宅に設置されたことなどが思いだされて、戦争のことが身近で語られることはなかったこと思いだします。
戦争を身近に感じたのはテレビや映像、様々な戦争回顧録、戦記物など外部からであったと思います。
高度成長期の空気感と現在の空気感を、戦争世代が少数派になった現代から、そのギャップの比較も興味深いと思います。
現代は情報があふれかえっています。当時の戦争がなぜ避けられなかったのか様々な視点からも語られ、指導者としてかかわった方々の記録や評伝なども増え、また一般の個々人の体験録や語り部などの記録などもアクセスできるものが相当増えました。
生々しい実感としての伝承がどこまで今後継承していけるかは、とても大事なことと思います。継承を進めていく様々な努力は国民の共通の責務だと思います。
こうした中で、8月13日にロシアのプーチン大統領が北方領土を電撃訪問したとのニュースが飛び込んできました。そこで国家間の島嶼や境界を巡る緊張について、フォークランド戦争を題材にして考えてみたいと思います。
このタイミングでロシア大統領がどういう意図で北方領土を訪問したのか、様々な見方、解説はあります。いずれにしても安全保障環境の厳しさがあらためて浮かびあがった事象でしょう。
北川敬三氏の『フォークランド戦争』(ちくま新書 2026年)を手にとりました。この新書は、フォークランド戦争を戦争自体の勝敗の帰趨を主に軍事的な側面からその意味を解き明かしたものです。戦争を軍事戦略の側面を中心に見ることにはまだまだ抵抗感がある向きもあるでしょう。しかしながら、そうした戦争が起きる可能性は排除できないということを踏まえた冷徹な知見は、今の安全保障環境では必要となると思います。
1982年に起きたフォークランド戦争を知る方は少なくなっているのかもしれません。私自身、社会人になった年でこの戦争のニュースには大きな関心を有していたと思いますが、今やほとんど記憶に残っていなかったので大変興味深く読みました。
戦争の対象だったフォークランド諸島は、アルゼンチンの南東部にある東西フォークランド諸島と776の小島から構成され、新潟県とほぼ同じ面積とのことです。1764年頃、帝国主義の時代にフランス、イギリス、スペイン(その後アルゼンチン)の領有権争いがあり、1833年にイギリスがアルゼンチンの駐屯部隊を排除し実効支配したのが領有権争いの始まりとのことです。
こうした領有権争いはどこに正義があるのか、解きほぐすことが大変難しい場合が多いと思います。このフォークランドも第二次世界大戦後にイギリスとアルゼンチンとの間で外交交渉が断続的に行われていましたが、解決は困難でした。人類は歴史を背負っていることから決して抜け出せないことをあらためて、感じます。現代もこの状況は全く変わりません。
次のポイントは、戦争の引き金となった事柄がフォークランド諸島の南東にある南ジョージア島で事件が起きたことです。1982年3月19日にアルゼンチンの民間業者を装った集団(金属資材回収業者)が上陸し仮設の施設を設置し、「既成事実」を積み重ねました。
両国の対立は決定的になり、4月2日のアルゼンチンによるフォークランド諸島の占領が起き、その後の74日間の戦争につながり、イギリスの勝利となります。こうした民間の偽装軍事行動が、このフォークランド戦争においても行われていたことには大変驚きましたが、現在の戦争に通じること、今でもこうしたことは十分に起き得ることと思いました。
当時のイギリスのサッチャー首相は、戦時内閣を組成し勝利を勝ち取るわけですが、ここの教訓について、本書籍では以下のように述べています。
「フォークランド戦争は、限定戦争の勝敗が「兵力の多寡」ではなく、「攻略から術科/技術までの連結」と「継戦を支える人・ロジスティクス・組織文化」で決まることを示した。・・・40年以上を経た今日、アジア・インド太平洋や欧州・大西洋でも国家間の島嶼や境界を巡る緊張は続いている。フォークランド戦争の経験は過去の出来事ではなく、現代を理解し、未来に備えるための指針であり学びの宝庫である。」(275頁、284頁)とあります。
この新書の最後のところに著者による元英国海兵隊第三コマンドー旅団長へのインタビューがついています。その方は「要は「人」だ。よく訓練された人材こそ鍵だ。最終的に、事を成すのは人間である。」(298頁)とあります。
日本での人材育成については足元危機意識は高まってきていて、こうした軍事戦略分野に限らず、半導体技術分野やAI関連など様々なところで強く叫ばれているところです。あらためて日本の人材育成について英知を結集して取り組むことが、ますます大事なタイミングと感じました。
フォークランド戦争からイギリスの強さをどう評価するか、ここでイギリス式の教育、リーダーシップについて参考にすることは、今後の日本の教育面での示唆にも通じます。
当時1982年のイギリスは、没落のイギリス帝国の真っ最中でありました。そうした中でもイギリスの組織力や人材力が秀でていたことは一体どういうことなのか、イギリスの教育、文化の底力と評価できるのではないかと思います。
その背景の理解のため、黒岩徹氏の『イギリス式人生』(岩波新書 1997年)を参照しました。黒岩氏は毎日新聞記者で、89-95年に欧州総局長兼ロンドン支局長を務めた方で、滞英15年半にわたりそうした海外経験を活かしてユーモアのあるエッセイを収めた1冊です。
その中で「独創性をつくる」(44-51頁)では、イギリスでの「独創性」を作る教育が最大のポイントとなっていること、「リーダーシップ」(64-75頁)では、フォークランド諸島の突如の占領時に当時の外相が直ちに辞任したことを引きながら、「いつでも地位を捨てられる潔さをもったとき初めて、指導者は尊敬される、とは洋の東西問わぬ真理である」(75頁)と論じ、「老いを考える」(132-142頁)では、「自分が年をとることに気づいた瞬間から人は賢くなる」(132頁)ことについて、イギリス人のシニアを参考に様々な事例を紹介しています。
25年前のイギリスの話ではないかと冷ややかな見方もあるかもしれませんが、サッチャー首相時代後のイギリスが復活したことに、イギリスのこだわりの人生の考え方も通じている気がしました。
2026年8月15日 記(暑い夏 終戦記念日です。)
イノベーション・インテリジェンス研究所 代表 幸田博人
