興福寺1300年の歩みに学ぶ持続可能性(ニッセイアセットマネジメント株式会社 中谷幸司)

先月、東京の読売ホールで「五重塔サミット」(興福寺、読売新聞社主催https://kohfukuji-project.jp/summit.html)が開催されました。
国宝の五重塔を擁する奈良の興福寺、山口の瑠璃光寺、山形の出羽三山神社が集い、古建築の未来への継承と課題について深い議論が交わされました。

興福寺では約120年ぶりの本格修復が始まり、2034年の完了を目指しています。
私自身、サステナブル投資に係る立場から、文化財の継承と現代社会のあり方について深く考えさせられる機会となりました。
日本生命グループにおいては過去、興福寺の中金堂再興(2018年落慶)に先立ち、勧進サポートとして日生劇場が所在するニッセイ日比谷ビル(村野藤吾設計)の社員講堂を講話の場として数年間お使いいただいたご縁があります。

興福寺については、NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で興味深い歴史的エピソードが描かれていました。
大和国の統治を委ねられた豊臣秀長が国入りし、中世以来の複雑な荘園構造に起源がある当地で検地を進めようと興福寺の坊官と対峙する場面です。

不輸・不入を守ろうとする寺社側に対し、秀長は強権や武力で抑圧せず対話を試みるという内容でした。フィクションドラマで破天荒な怪演シーンなどがありましたが大筋ではほぼ史実に近い内容だったようです。

当時、荘園制度は形骸化し、「スチュワードシップ」で捉え直せば管理人である地侍層(衆徒・国人)の不透明な統治により、アセットオーナーである興福寺自体の地盤沈下が生じていました(安田次郎著『中世の興福寺と大和』)。

まさにエージェンシー理論を地で行く日本の中世版です。秀長は検地により経済基盤を定量的に可視化し、公儀による明確な制度へ転換することで持続可能な構造への移行を促しました。

結果的に興福寺は武装組織を手放し(エージェンシーコスト削減)、本来の「祈りと文化継承の場」として長期的体制へ転換できたとも解釈できます。
延暦寺や本願寺、根来寺などで起こった武力衝突事態を回避できたからこそ、今私たちが仰ぎ見る五重塔や阿修羅像、運慶の傑作が現代に残されたともいえましょう。
秀長の手腕もさることながらうまく事態変化に対応した当時の興福寺の柔軟性はエンゲージメント上の対話にも通じるものがあるかもしれません。

司馬遼太郎が『街道をゆく(奈良散歩)』で述べているように、明治維新を経て更に興福寺はさらに激変しました。廃仏毀釈や寺領没収で摂関家の庇護を失い、境内全体が奈良公園に組み込まれ、末寺や塔頭は消滅しました。

もともと、檀家や墓を持たない国家の祈願寺でしたから経済基盤ゼロからの再出発を余儀なくされたのです。
現代の興福寺は社会との関わりで地道な取り組みを重ね、日本一の国宝仏像数や建築を「国民資産」と位置づけ、東京国立博物館での「阿修羅展」(2009年、94万人来場)、「運慶展」(2017年、60万人来場)など開かれた取組みを実践されています。

幾多の危機を乗り越え、1300年間、日本と歩んできた興福寺。史上最初の社会福祉・医療施設「施薬院」が設立されたのは興福寺境内でした。

2034年の五重塔修復完了には現時点では60-70億円の費用見積もりですが、建築費高騰から年々増加しており、内、78%は公的支援があるものの残りは自助努力で対応されています。

社会に向けた歩みを通じ、人々の心に寄り添いながら日本の美を未来に継承されていく興福寺の取組については、サステナの視点からも国民のひとりとしてサポートできればと願っております。

2026年10月1日記 ニッセイアセットマネジメント株式会社 中谷幸司