忘れ去られることと、受け継がれる知恵(SBI大学院大学教授 柴崎健)

最近は田舎暮らしをはじめ、車を運転する機会が増えました。
車内ではYouTubeをラジオ代わりに流しています。
そこで密かにマイブームとなっているのが、「ピラミッドは巨大なエネルギー装置だった」「日本の神話は真実の歴史である」といった、一見すると荒唐無稽な都市伝説の数々です。

思い返せば子供の頃も、ノストラダムスの大予言や「日本沈没」の特番に胸を躍らせていました。
大学時代に最も強く印象に残っている講義も、「日本人の起源はイスラエルと同根であり、世界は秘密結社に支配されている」という異色の説でした。
当時は半信半疑で聴いていましたが、今改めて都市伝説に耳を傾けていると、ふと「私たちが確固たる事実だと信じている歴史は、本当に不変の真実なのだろうか」という疑問が湧いてきます。

結局のところ歴史とは、たまたま残されたわずかな記録を基に構築された、その時代の人々の「共通認識」に過ぎないのかもしれません。文化財の修復現場において、かつての技術が途絶え、完全な復元が不可能な事例も少なくありません。どれほど強固に見える文明であっても、形あるものは時の流れとともに風化し、技術も記憶も失われていくのが世の常です。

現在、私は金融史の一端を記録に残す作業に携わっています。この記録もいずれは忘れ去られる運命にあるのかもしれません。しかし、わずかでも記号やデータが残っていれば、遥か未来の誰かが別の形でそれを読み解き、再構築してくれる可能性があります。そう考えると、自分の愚直な作業にも確かな価値があると思えるのです。

人はいつ死を迎えるのでしょうか。肉体の寿命がつきたときだけでなく、「人々の記憶から完全に忘れ去られたとき」こそが、本当の死なのかもしれません。かつての権力者が銅像を建てて不死を望んだように、人は自らの存在が残ることを切望します。

しかし、情報が膨大に溢れる現代において、紙の本とデジタルデータのどちらが遥かな未来まで残り得るのかは、誰にもわかりません。
漫画『チ。』では、途方もない真理に近づいた知恵や文献が一度は失滅しながらも、その断片的な思考が偶然にも次の世代へ受け継がれていく様子が描かれます。
たとえ次世代に伝わる知識が、前世代のそれより大きく後退したものであったとしても、その「かけら」が誰かに伝わり、思考が生き続けること自体に決定的な意味があります。

仮に人類が何度も滅びを経験し、残された知恵がかつての足元にも及ばないものであったとしても、バトンが繋がれている限り、私たちの営みは確かに生きているのだと感じます。

そう考えると、文明の衰退や滅亡さえも、決して途絶ではなく新たな循環の一部なのかもしれません。そんな壮大な歴史の連綿に思いを馳せながら、私は今日も世界の片隅で、金融危機から現在に至るまでの市場の変遷に静かに思いを巡らせています。

2026年10月29日記 SBI大学院大学教授 柴崎健