広中平祐さん、シニアの方は、お名前をご存知の方も多いと思いますが、若い方はきっとご存知ない方の方が多いでしょう。この3月18日に94歳で亡くなられた数学者です。お悔やみ申し上げます。
広中氏は京都大学名誉教授で、1964年に「代数多様体の特異点の解消」を解いて、1970年に日本人としては小平邦彦氏(1954年受賞)に次ぐ2人目のフィールズ賞を受賞しています。
フィールズ賞とは、国際数学者会議(International Congress of Mathematicians, ICM)で若い数学者の優れた業績を表彰する賞で、「数学のノーベル賞」とも呼ばれています。
ただしノーベル賞と大きく異なるのは、40歳未満、4年に1度、原則として個人受賞などの条件があるところです。
最近では高額の賞金の数学者を表彰する賞も増えていますが、数学の歴史のある賞としては別格に位置づけられています。
日本人の受賞者は、小平氏、広中氏に加えて森重文氏(1990年受賞)の3人のみです。広中氏は1968年からハーバード大学教授をつとめ、1976年には日本に戻り京都大学教授となり、退官後は山口大学の学長などもされました。
なぜここで広中平祐さんのことを語るのかということです。
私が高校卒業まで過ごしていた山口県は、明治維新以来の政治家が沢山輩出している田舎の地方自治体ですが、こうした数学の天才が山口県玖珂郡由宇町(現在の岩国市)に生まれ育ったということで、当時から(1970年代)、子ども心、とても地元自慢だった思い出があります。
だからといって私は凡人で数学の道など歩めるわけもなく、その後過ごしているわけですが、今回広中平祐さんの訃報をニュースで知り、そうしたことを思いだし、広中平祐さんの書物をAmazonから4冊取り寄せました。
(1)『学問の発見 数学者が語る「考えること・学ぶこと」』(講談社ブルーバックス、2018年;原本は1982年発刊の『学問の発見』(佼成出版社))
(2)『生きること学ぶこと』(集英社文庫、2011年;原本は1982年発刊の『学問の発見』(佼成出版社)を改題、加筆修正し、1984年に集英社文庫として刊行したものを再刊)
(3)小澤征爾・広中平祐(プロデューサー萩元晴彦)『やわらかな心をもつ』(新潮文庫、2010年)
(4)森重文記録『広中平祐講義 代数幾何学』(京都大学学術出版会、2004年)
この4冊の中で(1)(2)は同じ書籍です。(1)の講談社ブルーバックスがシニアの方には読みやすいと思われます。
この書籍は、広中さん自身が生まれてからどう育ち、学問にどう興味を持ち、大学から数学者を目指し、その後米国留学で研究を深めながら様々なチャレンジを失敗しながらも試行錯誤で行い、研究を深め、新しい業績を発見できたことはどうしてなのかなどについて綴っているものです。
このように、半生を振り返ったのが本書の元版の1982年発刊のタイミングですから、当時はいまだ51歳にしかすぎない頃です。
最近の日本経済新聞社の「私の履歴書」の方々も少し若い方が登場されていますが、それでも若い方で70歳の方の登場に比して、51歳という若いタイミングですでに半生を振り返っていることは驚きです。
もちろん、こんな立派な発見をした若い数学者が、どういう軌跡でそうしたことに到達したかを知ること自体当時から大変有意義ですし、また何が発見や成果のきっかけになったのか、壁にぶつかった時にどういう心持ちだったのかなどを知ることは大いに意味があるところです。
広中氏は昭和20年の終戦時には14歳であったわけですが、それまでは地域の比較的裕福な家庭の下で過ごしてきたところ、戦後は生活もやっとという状況の下で、1950年に京都大学に合格しています。
「学び」に好奇心をもった方々が、今の日本を形成してきたことは論をまたないところでリスペクトできますし、色々と感慨がわきます。
広中氏も「試験を受けた大学はここだけで、もしそれに落ちたら生涯大学に入ってはならない、と父からいい渡されていたが、なぜか落ちる不安は感じられなかった。」(同書74頁)とのことです。
本書にはたくさん有意義な内容はありますので、少しだけ本書籍から引用します。
「人間の頭脳は、不連続のものから連続したものを導き出す寛容性をもっている、と私はいった。いいかえれば、実は飛躍であることを飛躍でないととらえられるのが、人間の脳である。だから、人間は飛躍ができる。コンピューターやロボットには、それができない。」(同書57頁)
と記述していて、これを現代の生成AI時代に引き直した場合、どこまで広中氏がいう通りなのか、両者間のギャップがどの程度なのか難しいところもあると思われますが、人間とコンピューターの違いを活かしたところに、人間の価値がもてるかどうかが、人類の行方を左右するものと思われます。
また1982年当時、エズラ・F・ヴォーゲル氏の『ジャパン・アズ・ナンバーワン』をひきながら(広中平祐氏の妻の広中和歌子氏が共同翻訳者)、本来アメリカが日本に学びたいという中で、日本は本来はうかうかしてられないはずといい、
「米国が今、日本に学ぼうとしているのなら人材輸入主義が常識の米国に、日本人はより出て行きやすい状況が整っているわけである。
・・・日本的なやり方では、まず、人を集めてチームをつくり、そこのメンバーをシントナイズ(syntonize)する、シントナイズとは、トーンを同じにすること、つまり同調、協調の雰囲気をつくることに主眼を置くのである。
それからシンクロナイズ(synchronize)する、すなわち全員一斉の活動ができるわけである。これに対して米国の場合は、外からいろいろな人材を引っぱってきているわけであるから、しかも、個性が強いから、非常に扱いにくい。
・・・そういう人たちを集めてチームをつくるという場合は、実際問題としてシンクロナイズすることは不可能である。
・・・異質なものを集めれば当然、衝突が起きるだろうし、対立も起こるだろう。しかし、そのほうが活気がある。お互いに個性をぶっつけ合うことによって、「化学(ケミカル)反応(リアクション)」を起こさせようではないかという考え方である。」
とあります。ここを読むと、逆説的にいえば、すでに広中氏は現在、2026年の日本の停滞を予言していたともいえます。
広中氏は、すでに45年も前に日本社会が何をすべきか明確に理解し訴えていたことが、この記述が明らかにしています。
今の日本社会の状況や教育面においては、いまだに多様性が軽視され、個性が同調圧力にさらされること、さらには枠にとらわれない柔軟な取り組みがうまく進まないこと、本当にこれをブレークスルーしないと日本の成長や飛躍は難しいことをあらためて強く感じたところです。
(3)は、廣中氏と早くから友人であった小澤征爾さんとの対談テレビ番組のプロデューサーであった萩元晴彦氏が、テレビ番組のために行った2日間(1975年5月15日と16日)の対談をそのまま書籍にしたものです。
大変自由闊達な議論・意見交換がなされていて、今でも役に立つ様々な視点が沢山盛り込まれています。
広中氏の発言は面白いものが沢山ありますが、誌面の都合でこれ以上の引用を断念します。この天才肌2人の対談は、天真爛漫、牧歌的、個性的で面白いです。
(4)は、1971年秋から72年の初頭にかけて、当時京都大学数理解析研究所に滞在していた広中氏(当時ハーバード大学教授)が京都大学理学部で講義を行った講義録で、1頁から全く歯が立ちません。
すべてが霧の中で全く理解不能です。「刊行にあたって」のなかに、「フィールズ賞受賞者が講義したものを、後のフィールズ賞受賞者が記録をするという、記念碑的な講義録となった。」とあるように、取り寄せたもののすべてがさっぱりわからないものです。
森氏が「当時わたしは代数幾何を勉強中だったが、それは非常に抽象的な学問だと思っていた。ところが、廣中先生は具体的な対象を扱う形で講義を進められたので、大変わかりやすく、大いに触発された。・・・」と記述しています。
私からは、こうした大学での数学の講義のレベルが富士山を超えるレベルとも思えますので、全く箸にも棒にも掛からぬ状態ですが、当時から大学の理学部(数学科)は素晴らしかったということでしょう。
皆さんから本エッセイ含めて、ご意見をお寄せください。
2026年4月5日記(東京では、桜が散り始めました)イノベーション・インテリジェンス研究所 代表 幸田博人)
